
おだやかに2007年が明けました。
みなさまは、どのような新年、お正月をお迎えでしょうか?
みなさまの新しい年のご多幸をお祈りするとともに、「モミの木」をよろしくお願い申し上げます。
写真は、きょうのもの。西隣の公園の辛夷(コブシ)の芽です。
葉を落した木々は、眠りつつも春にそなえて蕾や芽をふくらませていきます。温暖な地域では、そもそも秋冬一度に落葉する木々が少ないので、冬芽を目にすること自体あまりありませんが、街路樹のサクラや白蓮(ハクレン)の芽も目立つようになっているはずです。
寒空のもと、少しずつでも確実に大きくなっていく冬木の芽を見るのは楽しみ。その姿に励まされることもあります。特に辛夷や白蓮の芽は大きく、目立ちます。俳句でも、冬木の芽は季語ですが、何の木の芽か具体的に表し、例えば、辛夷の芽を詠ったものもあります。
鎌倉は五十六谷戸(やと)辛夷の芽 志田 千恵(『鷹』1999年5月号)
谷戸とは、関東でいう低湿地のこと。広辞苑によると、鎌倉辺には地名として多く現存しているようです。鎌倉はあまり知りませんが、少し奥まったところには畑もあり、トンビの啼く声も、春にはウグイスの声も聞かれます。谷戸は、そんな、観光客の行かない、地元の人の暮らしがある隣といっていい場所かと思います。小山に囲まれ、近くに菜畑や農家もあるかもしれません。
そんな谷戸の雑木の中に見つけた、辛夷。辛夷は、ほかの木々よりも大きな冬芽をつけるので、すぐわかります。あぁ、こんなに冬芽が大きくなっている!見上げれば、冬芽と、冬といっても北国とは違う、真っ青な冬空。この辛夷の冬芽がほころんだら春。春も近い…。
この句では、「辛夷の芽」と季語が「置かれている」(「季語を置く」とは、俳句独特の表現です)だけなのに、読んだ瞬間このような景が浮かんできます。これは、季語の働き。辛夷の芽という季語が、何も言わなくても、鎌倉の真っ青な冬の空まで連想させるのです。ただ、逆に冬晴などの対象が大きな季語では、漠然としすぎて、辛夷の芽までなかなか想像できません。
一般に、大は小をかねると言いますが、俳句の季語では、小が大をかねる、その場合が多いと私は思っています。(本や誰か先輩の口から聞いたことはないのですが、実感です!)例えば、以前井上すず子さんのあきざくら=コスモスの句、「あつまつて水は水色あきざくら」を紹介しましたが、コスモスから鰯雲を想像することはできても、鰯雲の季語からは、地上にコスモスも咲いているかもしれないけれど、ほかの花もいろいろ咲いている、とはっきりしません。季語のカバーする範囲が広すぎて、ポイントが絞れないのです。
また、辛夷の大きな芽を見ると、春が近いこともわかります。そんなことから、春の訪れを待つ、期待も感じられます。
「かまくらはごじゅうろくやと」。谷戸の意味、どんな場所かがわかれば、数も56とたいへん覚えやすく、リズムのいい句です。このビシッと言い切った詠いっぷりにも、春はもうすぐ!と確信した気持ちが表れていると思います。
これから、鎌倉に初詣に行かれる方、どうぞ、辛夷の芽も探してみてください。仙台でこの大きさですから、もっと膨らんでいるかと思います。また、辛夷の芽なんて知らなかったという方も、気をつけてみてください。見つかったら、「鎌倉は五十六谷戸辛夷の芽」と浮かぶかもしれません。
でも、鎌倉は遠いという方には、次の湘子(しょうし)先生の句を。湘子先生は、藤田湘子先生、2005年4月に亡くなられましたが、『鷹』を創刊・主宰された先生です。
日本に松と縄あり初詣 藤田 湘子(『神楽』)
どうぞ、2007年がよい年となりますように。ご多幸をお祈りいたします。「アイン・グリュックリヒェス・ノイエス・ヤール!」