チキンライスとお皿の話
チキンライス皿まで赤し春来る 窪田ちか(『鷹』2002年5月号)
ここ仙台でも先週梅の開花のニュースがありました。暖かさからと言うより、最近とみに日が長くなったおかげで、春が来たのを実感しています。「モミの木」の西の窓辺のテーブルも4時半を過ぎても明るく、物を読むのにちょうどいいのです。
ドイツでもカーニバルの後、クリスマスのころは3時を過ぎると沈んでしまった日がだんだん長くなり、日の長さとともに春を感じたものです。
ところで、冒頭の句です。俳句で「春来る」というと立春のことで、必ずしも春が来たという実感を表す季語ではありませんが、私は暦の立春のころというより、春になった、もう冬の光とはちがう、と気がつくようになると、このチキンライスの句を思い出してしまいます。
一読、「あ~、おいしかった!」という声が聞こえてきませんか。チキンライスはきれいにお腹におさまって、いまはケチャップが赤く残った(白い)皿のみ。食後の飲み物を待つ間、お腹も心も満たされて、外に目をやると、何だか光がちがう。冬の光にはよく晴れていても刺々しい感じがするのに、刺々しさが消えている。光がまるくなっているような…。庭に植えられた花々も心なしか暖かそうに見える…。
この句では、「春来る」のみで、具体的に春の季語が使われていません。読み手の想像に委ねられているので、上の鑑賞も全くの私の想像にすぎません。
ただ、チキンライスを外で食べるとしたらどんな場所か、と考えてみると、チキンライスというクラシックなメニューのため場所が限定されます。デパートの食堂や昔ながらの喫茶店にもチキンライスがあると思いますが、外の景色を眺められるような場所でないと「春来る」が実感しにくいもの。しかし、チキンライスが定番の老舗の洋食店ならば、中庭などがあったり建物自体が緑ゆたかな場所にあって「春来る」という気分も味わえそうです。そんなわけで、チキンライスの一語に私は緑が楽しめる老舗の洋食店を想像したので、自然とケチャップの残った白い皿に銀のスプーンまで見えてきました。
また、俳句で食べ物の句を作るときは、旨そうに作れ、と言われますが、チキンライスと「春来る」のおかげで老舗洋食店が想像でき、老舗洋食店のチキンライスならば味も保証されます。現に作者はきれいにお腹におさめて、赤くなった皿が残るのみ。不味いわけがありません。
最後に、チキンライスを食べたのは外ではなくて、家だった可能性もあるかもしれません。しかし、皿の赤さに目が行ったことを考えると、真っ白な皿だったからこそケチャップの赤が鮮やかに見えたのだと思います。家庭で使う柄物の皿の場合、なかなか赤い色も美しく見えません。白の磁器だからこそ、ケチャップの赤も美しく見えるのです。そんなわけで、私は、お皿からも老舗洋食店を想像したのですが、いかがでしょうか。
このように書くと長くなりますが、考えるのは一瞬のこと。その後は、久しぶりにわざわざチキンライスを老舗洋食店まで食べに行きたいなどと、美味しい店を思い出しては楽しくなってしまいましたが、写真は「モミの木」で使っているお皿です。
正確には上のプルーンのスープ皿は自家用で、「モミの木」では、同じサイズでプルーンの柄とゴールドの縁のない、それこそ真っ白なスープ皿にハンバーグやビーフストロガノフを盛っています。付け合せは、ドイツでもよく一緒に出されるじゃがいもといんげんの場合が多いのですが、たまにいんげんと人参を盛ったときは、この白いお皿のおかげでとても人参が映えます。
白にもいろいろあって、黄色っぽいものや灰色がかったものがありますが、これは色白。料理を美しく見せてくれる色です。
また、本来のディナー皿は下に置いた27cmのもの。ただ、日本人の胃袋や日本の食卓には大きすぎるため、私は直径18cmや21cmのお菓子用に使っています。一方、上の24cmのお皿はスープ皿ですが、スープのほか、パスタ、シチュー、カレーなどにもぴったりのサイズ。非常に重宝しています。同じ24cmのディナー皿よりも、カレーは食べやすく、シチューが盛れることから、これから買うならばこちらがおすすめ。このお皿に盛った写真をご覧になればおわかりいただけると思います。
ただ、いつまでも料理が美しく見えるよう、チキンライスをお出しするわけではありませんが、仮にチキンライスを盛っても「皿まで赤し」と見えるよう、手入れをしています。1枚1枚ソースの残りなどを拭い取ってから洗っているのですが、その話はいずれまた。
なお、先日なるべくライスではなく「ごはん」という言葉を使いたいという話を書きましたが、チキンライスは例外です、念のため。