
ここ最近、金曜の夕方に花を買い、活けるのは夜というパターンになってしまいました。
新しい花を見られるのは土曜日のお客さまだけになってしまうので、決して喜ばしいことではないのですが、花屋さんの仕入れの都合で、火曜日や水曜日には花の種類も鮮度もともに芳しくないのです。
おまけに暑くなってきたせいで、花もすぐに弱ってしまいます。先週のダリア「黒蝶」は持たず、花を変えました。
今週は枝物がなく、かわりに背景にはワレモコウ。秋の花なのに季節感が狂って厭だと思いながらの選択です。
主役は、目に涼しきものをと、水色のデルフィニウム。トルコキキョウはクリーム系かピンク系がよかったのですが、大量に入荷していたものはすべて白。これも止むをえずの選択ですが、こちらはいまのところ空梅雨気味で、暑い日もあるので、花やテーブルクロスは涼しい色を選ぶようにしています。
ところで、「暑し」、「涼し」も夏の季語。「涼し」は秋になってから感ずる涼しさとは違い、暑い最中に感ずる涼しさのこと。実際風が吹いて覚える涼しさだけではなく、心理的に感ずる涼しさにも使われます。
をみな等(ら)も涼しきときは遠(をち)を見る 中村草田男
ふっと涼しくなる風が吹いたときにも、あるいは涼しさを覚えたときにも草田男のこの句が浮かび、同時に黒田清輝の『湖畔』まで浮かんできます。団扇を片手に湖畔に屈んだ女性の絵です。
その若い浴衣の女性は決して俯いているわけではありませんが、湖面や湖を囲む山々に目をやるわけでもなく、物思いに沈んでいるのか、目は物を捉えてはいないようです。私はこの絵を思い出すたび、もう少し視線を上げて遠くの山並みに目を向けてくれたら、草田男の句になるのに…と残念になったり、こんなに涼しげな場所にいるのにもったいないなどと思ってしまいます。しかし、前面に描かれた女性の縞の浴衣にも、絵の半分以上を占める背景の湖にも濃淡の水色が使われていて、配色はとても涼しいのです。
庭では北側のピンクの薔薇の手前に植えているラヴェンダーの蕾が大きくなり、一部開き始めました。バラの花柄を始末しているとき触れると、甘いなかにも辛みのある涼しい香りがさっとたちます。
去年のように見頃が梅雨の激しい時期にぶつからないよう、願うばかりです。
なお、7月1日の写真は、ヤマボウシ。白い4枚の花びらが十字を成しているように見えますが、白いものは花びらではなく、総苞(そうほう)と呼ばれるもの。花は、その中心に球状に集まった黄色の小花です。5月18日の写真では白い総苞がまだ細く緑がかっていますが、およそ1月後の6月初めには真っ白な十字になりました。いまはもう白い総苞は見られませんが、楚々としていかにも涼しげなので、ご紹介しました。