誂える(アツラエル)
先週の前半はお天気に恵まれず、肌寒い日が続いていましたが、週末からふたたび青空。
きょうの午後も下に行くと、窓辺のテーブルに本を読むのにぴったりの日が入っていました。
写真では椅子がふたつしか見えませんが、書棚の陰にもう一脚、手前の椅子と同じものがあります。入口からすぐのうえ、少々狭い席ですが、人が入って来ても、内扉の菱形の窓から見える奥のリトグラフに視線が向くようにしてあるので、ちょうどここが死角になります。この、背中の真ん中に背もたれがくる肘掛椅子もとても座りやすく、本を読みながら時を忘れるにはいちばんの席です。
この椅子の座り心地のよさは、もとは結婚を機にテーブルと一緒にオーダーして使っていたので、私がいちばんよく知っているのです。もっとも、オーダーと言っても、予め見本があって、そのなかから色と数とを選んで注文したにすぎませんが、テーブル横の書棚は、同じ家具屋さんに店内の食器棚や2階の書棚兼書き物机と一緒に一から注文したもの、つまり「誂(あつら)えた」ものです。
この誂えるという言葉は、最近すっかり聞かれない、使われなくなったような気がします。よく、「こいつはおあつらえ向きだ」と言いますが、その「あつらえる」です。しかし、最近は、誂えるという行為自体珍しくなったせいで、この字が読めない、さらには意味がわからないという方もいるのでは…と危惧します。
ものの製作を頼むことを表すには、注文が一般的な言葉で、例えば、食事を頼む際にも、当店のようなネットショップで買い物をするときにも使います。一方、誂えると言うと、単なる注文とは違い、出来合いの型ではなく、一からサイズを測ったり、素材を選んだりして、細かい要望にそって作ってもらうものではないかと思います。注文と言っても、誂えるという意味の場合は特別注文、特注と言うように、ふつうは、決まった型のものを頼むことを意味する場合が多いようです。その結果、注文して受け取るものは誰もが同じものですが、誂えた場合自分だけのものが出来る。ただ、誂える場合は、出来合いの型ではないので、頼む方もあれこれ手間がかかります。
このような違いがありますが、考えてみれば、私は小さいころから誂えることが非常に好きでした。
まず、小学校のころ、上の下着、シュミーズは、既製の化学繊維のものは肌によくないと言って、母が木綿の生地で作ってくれたものを当たり前のように着ていましたが、スカートもセーターも母のお手製のものが大半でした。母はどちらかと言うと、美味しいものを作るよりも、洋裁、編み物のひと。学校に持って行く手提げ袋や小物入れは、自分が黙っていても周りから羨ましがられるものを作ってもらっていたのですが、だんだん欲が出て、いつの間にか、ああしてこうしてと注文をつける、誂えるようになってしまったのです。
母に服を誂えるのは大学に入ってからも続き、リバティープリントを使ってローラ・アシュレイのようなワンピースを作ってもらったり、「わあ、またおかあさんにセーター編んでもらったのー!」と言われるほどよくセーターを編んでもらったものですが、その服を誂える習慣が、まず家具を注文することになり、ひいては家具を誂え、家も誂えることに繋がったのだと思います。
ちなみに、このテーブルと椅子の少し赤みを帯びた濃い茶色は、結婚前に買った扉つきの書棚に合わせて決めたもの。その書棚は結婚後食器棚として使っていますが、非常に食器が美しく見える色なので、店内の書棚と食器棚をオーダーしたときも同じ色にしてもらいました。
このテーブルと椅子に書棚と食器棚、さらに2階の書棚兼書き物机もすべて、東京・晴海のトリトンスクエアにあるJホームスタイル=柏木工(http://www.kashiwa.gr.jp)さんの製作です。ただ、セミオーダーだったテーブルと椅子は、この店を始めるときにはすでに廃番、生産中止でした。
何度も打ち合わせをして作ってもらったものはどれも愛用し、愛着があります。残念ながらいま使っている書棚兼用の机は静岡には持ち帰れませんが、この書棚と大事な食器棚は静岡でも大事に使います。