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季節の演出およびニゲラの話

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 「モミの木」の大事にしていることに、旬があります。
 
 旬の食材は、いちばんおいしいうえにお手ごろ価格、と現実的なメリットがありますが、ドイツ人的な発想では、「旬でもない食べ物をわざわざ作るなんて、エネルギーの無駄遣い、そのぶん値段だって高くなるし。旬のおいしいものがほかにあるのに何で年がら年中イチゴなの?」と疑問に思わざるをえません。
 そういった現実的な問題のほかに、何より季節感を大事にしたい、春なら春、夏なら夏の季節を満喫したいと思っています。(そんな暮らしがしたくて、居ながらにして、西側の雑木林の移り変わりを楽しめるこの場所に決めたのです。)
 
 「モミの木」では季節を楽しむために、食卓のクロスや花を使って演出しています。
 洋風の住宅では、和風の家屋のように、よしずやのれん、風鈴などによる夏の演出はできませんが、カーテンや食卓のクロス一枚を涼しげな色・柄にすることや、室内に緑のものを置くだけでも気分が変わります。
 というわけで、「モミの木」の今週のテーブルコーディネートや花を紹介していきます。花もテーブルコーディネートも全くの自己流ですが、食卓の布一枚の力というのは、ドイツでの2軒目のホームステイ先のハイディーのところで知りました。


 さて、今週の花といっても実は先週の花なのですが、その前の週に買った奥の左右のフロッカス(?)と手前のハイブリットスターチスのほかに、クリーム色のカーネーションと同じくクリームがかった白のニゲラとを足しました。
 ニゲラという聞きなれないのは、真ん中、奥のコスモスのようなごにょごにょした葉の花です。花びらもコスモスに似ていますが、何とハーブの一種で、ペルシア料理ではその種を使うようです。
 
 今年の春先、まだ激しく牡丹雪が降る日に、青紫のニゲラを初めて買ったのですが、最近読んだ『柘榴(ザクロ)のスープ』という小説にニゲラをペルシア料理の赤ヒラ豆のスープに使う場面がありました。小説は、革命前夜のイランから亡命した3人姉妹がアイルランドの片田舎でペルシア料理とお茶の店を開き、生きる場所を探していく話ですが、エピソードにからんだ料理のレシピも紹介されています。
 それによると、ニゲラがなければ黒コショウでも可ということなので、コショウのようなぴりっとした刺激があるのでしょうが、胸焼けや疲れにいいばかりでなく、一種媚薬のような働きもあるようです。また、香気があると記されていますが、どんな香気かまでは残念ながらわかりません。

 それでニゲラが気になっていたところ、白系統のものを発見。持ちのいいクリーム色のカーネーションとあわせたのですが、月曜日に買ったニゲラは日曜日にはぐったりしてしまいました。でも、白とクリーム(グリーン)は、とても品のある、清潔感のある組み合わせだと思います。花の種類によっては、やさしさも演出できます。

 窓辺のテーブルのクロスはクリーム色のカーネーションに合わせて、ペパーミントグリーンに、奥のアンティックテーブルには庭の咲いたバラを飾って、クロスもバラの柄に。
 さて、次週はどうしましようか?あしたの花屋さんが楽しみです。

 

どうして私がモミの木のオーナーに?vol.1 ドイツの小学校で授業!まで

IMG_0018.jpg「モミの木」は、私がオーナーと言っても、私一人で、お菓子を作り、お昼の準備をし、掃除の他、テーブルのクロスのコーディネートと花のアレンジ、さらに庭仕事に冬は雪掻きなど、ふつうの主婦がやる仕事をしています。ただその主婦の仕事には、私の場合ドイツでの経験がベースになっているのです。

ドイツに滞在したのは、(財)インターンシッププログラムスの派遣。北ドイツのHannoverハノーファーのカトリックの小学校で、ドイツ語で「日本のくらしや文化(折り紙やお習字、そろばんなど)を紹介しつつ、生きたドイツ語を学ぶ」というのが目的でした。受け入れは最長1年まで可能でしたが、私の場合1988年の秋から1989年の春にかけての半年間です。

なぜドイツの小学校での授業の話に飛びついたか、と言えば、私が自分の語学力をも顧みない向う見ずなB型人間だったせいでしょうが、ドイツ語を習うには「行っちゃえ!その方が絶対早い」と考えたからでした。どうしてドイツ語ができるようになりたかったのか、と言えば、卒論のテーマを、旅行で立ち寄った3月なのに寒くて暗いドイツに惹かれてしまいこの国を知るため中世も終わるころの社会を調べることにしたのですが、日本語の資料不足に直面。卒論で読みたかった資料も読めなかったがために、「えい、ドイツに行っちゃえ!」となったのです。東京のゲーテインスティテュートで学んではいましたが、ドイツ語は初歩の段階。高校の世界史の講師の経験と、そろばん、書道などができたことが、派遣につながったかもしれません。

こんな私の授業ですから、たいしたことができたわけでもありません。折り紙や習字、スライドを見せながら日本のくらしの話をする授業のほかは、一日の大半は子どもたちと一緒に授業を受けたり、算数の授業では先生のサポートとしてわからない子どもたちの面倒をみていました。こうしたなかで、算数のわり算の計算の書き方が日本とはちがうこと、体育の授業の準備運動に流行の音楽をかけながらでも問題のないこと、ドイツ語の書き取りには万年筆を使うことなど表面的な違いのほかに、ドイツの教育で重視していること―― 子どもに自分の考えを持たせること、何に対してもにも無批判に受け入れるのではなく種々の要素を考えて判断させることなど―― にも気がつくようになりました。

つづく