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こぼれ種①

こぼれ種①ナスタチウム.JPG


 いつだったか、プルーンの花が咲いた頃だったか、プルーンの木の根もとに見なれないまるい葉が芽を出しているのに気がつきました。
 雑草のような気もしましたが、いままでこんな草は取ったことがないという消極的な理由で残したものが、花をつけて判明。ナスタチウムでした。
 去年庭に植えたものの、雨のせいか、すぐに傷んでしまったのが、玄関脇のプルーンの根もとに種が飛んだようです。蕾に気がついてから、プルーンの支柱に巻きつけたのですが、根もとに植えているローズマリーやアップルミント、フッキソウやキイチゴ、クチナシの緑ばかりのなかで、鮮やかな朱の花が引き立っています。
 それにしても、植物には驚くばかりです。ナスタチウムもちゃんと、自分に適した場所、苦手な雨が当たらない場所がわかるなんて…。きっと、去年は8月の長雨の間ずっと、あそこの雨の当たらない場所に行きたいと思っていたのでしょう。私の無知のために可哀想なことをしたと反省しています。

 ところで、庭には種が飛んで、殖えたものがほかにもあります。スミレにワイルドストロベリーに、ノースポールとコスモス。
 コスモス以外は私が苗を植えたものが殖えたのですが、コスモスは西側の並木に植えられていたものです。その種が去年北側のピンクのバラの花壇に落ち、花を楽しませてくれたのですが、今年は庭のあちこちに芽を出しています。今年の秋は、ピンクのコスモスでいっぱいになりそうです。

初雪

初雪08.11.20.JPG


 きょうは朝から初雪になりました。黄葉を残しての初雪です。
 去年も初雪が11月19日で雪掻きまでしましたが、きょうは西側の山が見えなくなるほどひとしきり牡丹雪が舞った後は、降ったり止んだり。有難いことに昼過ぎには上がりました。
 やはり雪を眺めるのは楽しいものの、雪掻きはつらいもの。札幌とここでの経験からすると、「初雪が早いと雪が少ない」傾向があるのですが、今年はどうでしょうか。雪掻きが少ないよう祈るばかりです。

 
 

母校変貌

本部・政経・演博・社学・8号館・商・法・図書館.JPG


 OB・OGの皆さま

 先週の週末は、お店をお休みにして、久しぶりに大学に行ってきました!
 この3月に大学2年のときのドイツ語の先生が定年で大学を退くことになり、そのお祝い(?)の集まりがあったのです。
 場所は、去年建て替えられたという第2学館のレストラン。
 写真は、その15階からの眺めです。
 手前右手より、本部、政経、演博、8号館、中央・商学部、中央右・社学、中央左・法学部、手前左手・図書館ですが、いまもこの場所で当時と同じ学部が使用しているのかはわかりません。
 もちろん、第2学館が建て替えられたくらいなので第1学館も新しくなっていますが、聞いたところでは、16号館は当時のままのようです。また、よく利用した図書館や演博、8号館も見るかぎりではそのままで、安心しました。

 一方、変わったのは建物だけでなく、女子学生の数も増加傾向とのこと。現在、女子が約33%を占め、教育学部では数年前から約半数に達するそうです。私たちのときは50人~60人のクラスに女子は10人ほど。変われば変わるもの、と驚いていますが、学生気質も変わったことでしょう。少々淋しく大学を後にしました。

 

庭仕事u.恐るべしキイチゴ

キイチゴの花.JPG


 きょうは、予定どおり庭仕事。

 本来ならば、去年の冬か春先にやっておかなければならなかったバラのアーチのペンキ塗りや施肥、植え替えなど、ほったらかしにしていた仕事が山のよう。先週の定休日は草取りだけで終わってしまったので、週間予報どおり晴れたからには、きょうは何が何でもペンキ塗り。
 必要なものは去年の秋から揃えていたのに、定休日に天気がよくない、寒い、風邪などの理由で、先延ばしに。でも、最大の理由は、ペンキ塗りなどしたことがなかったこと。経験がないことは、やたら億劫なもの。おまけに、ペンキで髪や服が汚れたらどうしよう…と決心がつかなかったのです。
 さすがにもう後に引けなくなってやってみると、案ずるより産むがやすし。出来栄えを気にせず、錆止め・錆隠しになれば可。そう思えば、許容範囲です。もともとこげ茶に黒の斑が入っていたところに、こげ茶のペンキなので平板になってしまったのは否めませんが、髪も服も大丈夫。無事に終わって何よりでした。
 
 しかし、大変だったのが、キイチゴの始末。
 キイチゴは、実も美味で、花もこのとおり。白の清楚な花で、枝も室内の花が足りないときには大事な花の背景として重宝していますが、最近やっと、その怖ろしさに気がつきました。
 キイチゴの枝は実をつけると枯れますが、根はミントのように地下茎でぐんぐん殖えるのです!
 キイチゴは、私がお菓子を作っている場所の前(写真)とジューンベリーのある南側の2ヵ所にあるのですが、南側に植えているキイチゴが家のすぐ近くに芽を出したのです。
 掘ってみると、地表からすぐのところに根があり、それをとりあえずここまでならいいだろうと思える場所で切ったのですが、念のためさらに掘ってみると、1本の根が表面に近いところだけでなく、さらに2本、上の根よりも深く地中に伸びていたのです。この周到さ。上に何かあっても下に予備、さらにもう一段下にも予備がある。私は上の1本ですっかり安心するところでしたが、地中に残った根っこの切れ端からまた根が伸びる、というスギナのような強靭な生命力があると、きょうの努力が水の泡です。掘っては根っこを探し、掘っては…とやっているうちにとうとう7時で、時間切れ。
 これに比べたら、ペンキ塗りなど子どものお遊びでした。
 
 夜、園芸の本でキイチゴについて調べると、実をつけた枝は翌年には枯れるので剪定をする、ということはどれにも書かれていましたが、この根っこがどんなに怖ろしい生命力を持っているかについてふれた本は1冊に切り抜きの記事のみ。
 『自分で作るスモールガーデン』(主婦の友社)では、「庭に植えると後悔する植物」として、スペアミント、バーベナ・リキダ、ドクダミとともに、「ラズベリーなどがその代表選手」と紹介されています。これは、この家の庭を作る前に目を通した本ですが、不幸なことに写真は最初の3つのみ。ラズベリー=キイチゴの写真がなく、このページは目にしていたのに、キイチゴはノーマークだったのです。3つのうちのどれかのかわりに、例えば誰でも知っていそうなミントや、臭いが嫌われて植えそうもないドクダミのかわりに、このキイチゴの写真があったら…!説明をよく読まなかった自分のせいですが、次のような説明があります。「一度植えると地下茎でふえて庭じゅうにはびこり、抜いても根が残ってしまうやっかいものです。…どうしても植えたい場合はコンテナで鑑賞するか、舗装などで区切った場所に植えましょう。」
 これから植えたいと思っていらっしゃる方、どうぞ、参考になさってください。しかし、地下茎が殖えてしまったらどうすればいいか…にはふれられていません。何かいい方法はないものでしょうか。「抜いても根が残ってしまうやっかいもの」ということは、おそらく徹底的に根を取り除かない限り、また残った根っこの切れ端から伸びてしまうということ。地道に根を掘って始末するしかないのでしょうか。

 せっかくの情報も、受け手に問題意識や興味というアンテナがないと捉えられません。
 今回の不始末は私の不注意から。明日も庭仕事です。

きょうは立冬u.落葉の句

もみじ.JPG
 
 きょう11月7日は、立冬。
 西側の雑木山は少し色づき始めた程度ですが、街路樹のカエデは早くも大半が落葉してしまいました。公園の黄葉もほとんど終わり、残っているのは葉が紅くなる木々のみ。
 
 天気は、午前中の屋根を叩く激しい通り雨のあと、昼過ぎからは雲間が切れ青空。
 写真のモミジは、公園の大きな針葉樹に囲まれ、守られるように葉を掲げていました!しかも、黄葉と紅葉、それにその間の色までそろっています。
 ところが、そのあと再び暗い雲が広がり、時雨のような雨。そして止んだ後、激しい雨。

 このような景色ときょう1日の天気の変わりやすさから、立冬ということが実感されます。

 「モミの木」は、私たちの終の棲家として建てたもので、アクセスのよさよりも眺めを優先したため、仙台駅からは、車の場合も地下鉄・バスを乗り継いだ場合も約1時間の距離。雑木山がすぐそこと言っても、三菱地所の住宅地の西の端で人里離れたところでもないのですが、冬になると、仙台の街中の天気や気温とは少々異なるようになります。
 また、山の天気は変わりやすいと言いますが、泉ヶ岳という、仙台の人が学校の遠足やキャンプなどに行く山が車で20分ほどの距離にあるせいか、冬はまさしく山の天気。例えば、晴れていると思ったら、さっと影って通り雨。あるいは、激しい雨も30分もすると上がって、嘘のように晴れるのです。

 こうなると冬です。
 木枯というほどではありませんでしたが風もあって、いったん2階まで吹き上げられた落葉が路上に吹き落され、何度かつむじ風に巻かれたあと、いっせいに吹き流されていきました。
 仙台に住むまで静岡や東京では、旧暦をもとにした歳時記の四季の区分や、立秋や立冬などの二十四節気(にじゅうしせっき)は全くしっくり来なかったのが、ここでは、きょうが冬のはじめと言われても違和感がありません。
 街中のケヤキの黄葉はどうでしょうか?ケヤキはよほど寒暖の差がないと鮮やかな黄色にはならず、茶褐色になるだけのようですが、初めて仙台に旅行で来た2002年の秋にはそれは美しいケヤキの黄葉が見られました。
 
 東京などこれから葉が色づく地域の方には少し早いですが、黄葉を飛び越して、落葉の句を紹介しておきます。
 『鷹』の大先輩の渡部よし子さんの句です。


 落葉道しあはせさうな犬ばかり (『鷹』2001年3月号)


 渡部さんはこの句の発表当時すでに卒寿の近い、東京の方です。
 それを考えると、よく晴れた、冬にしては暖かい日差しのもと、ご家族と一緒に散歩に出られた作者の姿が浮かびます。広い公園をゆったりと行くと、子どもの姿よりも、いかにも大事にされている犬が目立ちます。イチョウの大木の続く公園のなかの道には、黄葉が散り敷き、なかには長いリードをつけられて小走りにしている小型犬やじゃれあっている犬。そんな犬の姿に昔を思い比べて、変われば変わるもの、と少し溜め息まじりの作者の気持ちが、「ばかり」という一語に出ているように思います。

 以上は私の想像です。公園のイチョウの散り敷く道でなくても、遊歩道のような道でもいいでしょうが、ある程度犬が自由にできる幅のある道になるでしょう。東京だとどうしてもイチョウかケヤキになりますが、褐色のケヤキの落葉より私は美しくあたたかみのあるイチョウの黄色い落葉を思い浮かべました。
 東京などにお住まいの方なら、このような光景はよく見られると思います。そんなときにこの句を思い出していただければ、嬉しいです。

明日は紅茶の日、万聖節

ハボタンとノースポール(プルーンの木の下).JPG

 きょうで10月も終わり。まわりの黄葉や紅葉から視覚的にはじゅうぶん納得できるのですが、時間的にはもう…、という気分です。

 東京や札幌のマンション住まいでは特に必要なかったことですが、庭の冬支度をしなければなりません。植え替えや春咲きの球根を植えたり、もう少し寒くなって植物も休眠状態になったら寒肥も必要です。

 きょうは庭の一部と鉢の植え替え。先週買ったハボタンやビオラなどの苗を植えましたが、まだ少し追加が必要です。写真は仮置き。プルーンの木の根もとのハーブとみょうにしっくり馴染んでいました。

 ところで、明日11月1日はドイツではキリスト教の聖人や殉教者をまつる万聖節ですが、私には小学校が休みだった記憶しかありません。そこで、日本紅茶協会が定めた「紅茶の日」にちなみ、予告どおり、今年のクオリティーシーズンのウバのお試し期間として、11月1日から11月5日までウバをディンブラの価格にてご提供いたします。店内のみのサービスです。
 どうぞ、この機会に、キリッと辛みのある香りのウバをお試しください。ミルクを入れても、入れなくてもおいしい紅茶です。(詳しいウバの話は、「おいしい!紅茶の淹れ方」をご覧ください。)

黄葉のカツラ

黄葉のカツラ.JPG
 
 きょうは、久しぶりの雨。

 先週の火曜日に写した、黄葉のカツラです。場所は、西隣の谷間公園。以前ホウズキ色のカツラの紅葉をご紹介しましたが、お天気に誘われていつも行かないあたりまで足を延ばしたところ、家の近くではすっかり葉を落してしまったカツラにまだ葉が半分ほど残っていました!
 このカツラ、姿が見える前から、甘いカラメルのような匂いで場所を教えてくれていました。グラニュー糖を焦がしているときの香ばしい甘い香り。そう言えば、何年も食べていませんが、綿菓子の匂いにも似ています。おそらく、きょうの雨で散ってしまったでしょうが、黄葉の時期、どこからか綿アメの屋台もないのに懐かしい甘い香りが漂ってきたら、それがカツラです。

 実は、こんどの定休日には花壇の植え替え、と思っていたのですが、明日も上がりそうにないので来週になりそうです。10月初めの雨でコリウスがすっかり弱ってしまって、早く何とかしなければ…、と思っているのですが、このあたりでは冬越しできる花が限られているので、パンジー、ビオラ、ハボタンでやりくりするしかありません。
 何しろ仙台はこんどが3度目の冬。何と何が「実際」冬を越せるのか、まだ私には蓄積データーがないのです。例えば、ノースポールは露地植えでも大丈夫とされていますが、去年は全滅。シロタエギクを植えたいと思っているのですが、どうでしょうか?

 いま雨は小降りになったようですが、窓の向こうのユリノキもだいぶ葉が落ちてしまいました。この低気圧が去ると、谷間公園は、ぐっと初冬の気配が増すでしょう。
 なお、公園の西側の雑木山は、去年おととしとも、11月10日から20日前後が黄葉の見頃でした。黄葉ばかりでなく、紅葉もあります。
 ドイツでは、黄葉の盛りは10月。10数年前、小学校での授業のためドイツに着いたときは、まさしく、 goldener Oktober 「黄金の10月」という言葉どおりに美しい黄葉の時期でしたが、温暖化の影響か、私も12月に黄葉を目にすることが何度かありました。
 見頃はいつごろになるでしょうか?あまり暖かくて遅い黄葉には季感や暦の感覚が狂ってしまいますが、今年その心配は要らないようです。

チェリーセージと紅葉およびドアの話

チェリーセージと紅葉 縦.JPG
 
 散歩から戻ったところ、タイルに西側の並木の紅葉が落ちていました。
 北側のプラタナスの落葉には閉口ですが、紅葉は大歓迎!
 タイルと寄せ植えのチェリーセージにぴったりの赤なのです。
 ちなみに、少し写っているドアは、私がドイツで写してきた写真をもとに作ってもらったもの。色のせいで重そうに見えますが、タモという木で、とても軽いのです。以前、寒くない日は右側の扉だけ開けていましたが、虫が入ったり、右側だけ木の一部が動くなどの弊害が生じました。そのため、いつもドアは閉めておくことにしたのです。
 また、看板も出すのをやめたので、北側から見るといつもお休みに見えるようですが、月・火の定休日以外は基本的に営業しています。北側には、看板代わりに鉢植えを出しています。(店名どおりに、モミの木もあります。)
 あらかじめ臨時休業の際は、この「お客さまへ」のコーナーでご連絡いたしますので、どうぞご安心くださいませ。なお、急病のこともないとは言い切れません。遠くからお越しの場合は、場所ともどもお電話で確認していただけるとよいと思います。

 ところで、きのうテレビで青森の岩木山の紅葉を見ましたが、決してここは岩木山なみの寒さではありません、念のため。  

黄葉のユリノキ

西側から見たユリノキ.JPG
  
 きょうは、秋晴れのしかも快晴、雲ひとつない青空でした。
 西隣の公園を一周すると、いつも家から見ているユリノキを反対側から見上げることになります。同じ木でも西側のほうがだいぶ黄葉がすすんでいます。
 街路樹のユリノキは、剪定で丸裸にされてしまったものもありますが、ここのはそういう目に遭うこともありません。この黄葉したユリノキに朝日が射すととても見事。早起きしなければなりませんが、一見の価値ありです。

ホウズキいろのカツラの葉u.木犀の句

ホウズキいろのカツラの葉.JPG
 
 きょうは秋晴れの雲ひとつないお天気。
 うかうかしているとカツラの葉がなくなると、久しぶりに目の前の西側の公園を歩きました。
 
 実は、7月の下旬に、この谷間公園にクマが出没と区の広報車が注意を呼びかけていたことがありました。どこだろうと思っていると、何と「モミの木」から50~60メートル行った公園の北西の角に、クマ出没につき注意の真新しい札が立っていました。ふと下を見ると、大きさも色もクマのような黒っぽい茶褐色の岩が置かれている場所。もしかしたら、この岩がクマのように見えたのでは、と思いますが、ほんとうかもしれませんし・・・。何しろ今年はクマの当たり年。
 谷間公園いちめん芒の景は、もう少しすると黄葉や紅葉とともにとても美しいのですが、もしクマがいた場合見通しが悪く危険なためか、一部を残して芒も刈られてしまいました。おかげで、安心して散歩を楽しめましたが…。

 写真は、ホウズキのようにほのあかく染まったカツラの葉です。この枝は垂(しだ)れているわけではなく、撮りやすくするため少し手元に引き寄せたものです。ふつうカツラは黄葉するものと思っていましたが、1本の木でも黄色いところとこんなふうに紅葉しているところとがありました。先週の朝庭に出ると、公園のカツラのカラメルのような、しょうゆを少し焦がして塩気を除いたような甘い匂いが漂っていましたが、きょうはもうその香りはありませんでした。

 かわって、家の中にもよそのお宅の金木犀の香りが漂ってきます。金木犀の香りもクチナシや沈丁花とともに大好きなですが、金木犀は庭には植えず、ちゃっかり、よそのお宅の香りを楽しませてもらっています。(でも、近くに沈丁花はないようなので、ぜひ植えたいと思っています。)

 それにしても、金木犀の香りには幸福感があります。
 先日紹介した『鷹』の吉沼等外さんの句、「木犀や木臼(きうす)の中に猫仔猫」でも、木犀という季語がよく効いていると思います。確かに、使われなくなった臼の中で親猫とともに仔猫が重なり合って眠っているのはそれだけで充分に微笑ましい図ですが、木犀という季語によって、その芳香のほかに、秋のさわやかさと日溜りの暖かさ、さらには干布団のような日向くささまで連想され、眠っている猫の図とともに、いっそう幸福感が増したというか、思い浮かべるたび頬が緩むような一コマになったと思います。
 例えば、臼が庭の片隅に置きっぱなしになっているような田舎の家を想像して、庭にありそうな秋の花を想像してみます。花は猫が日向で眠りたくなるような時期のものでは、金木犀のほかは、コスモス、鶏頭、葉鶏頭、萩の花。つまり、いまぐらいの時期となるとあまり庭に花がありません。そのなかで、どれが気持ちよさそうに眠っている猫の親子にふさわしく、かついっそうその幸福感を表現できる季語か…?と考えると、私は木犀がいちばんと思います。それに、臼が使わないにしてもあるような家には、大きな木も多く、庭も昔ながらの木を主体とした庭のほうが考えやすいと思います。また、古くからの庭では、モッコク、モチノキ、モクセイの常緑樹が「庭木の御三家」だったそうです。
 季語の木犀からその芳香以外に秋の日溜りや空、臼という言葉から、句には説明もされていないのに、言い当てているかどうかは別として、家や庭まで情景が浮かびました。俳句は17文字なのに、的確な表現によって、読み手に上手く想像させるのです。
 
 蛇足ですが、木犀の「木」と木臼の「木」、「猫」と仔猫の「猫」。17文字の中に、同じ文字が2度ずつ現れて、響きだけでなく、見た目にもシンプルで、楽しいリズムがあります。
 みなさんは、いかがでしょうか?
 8月に紹介した井上すず子さんの「あつまって水は水色あきざくら」。この句をすぐ覚えたと思ったら実際にそんな景を目にした、という嬉しいお声もいただきました。この句の覚え易さにも、やはり、「あ」や「み」、「水」といった響き、字面両方のリフレイン、リズムが効いていると思います。リズムがいいとそれだけで、句も楽しくなります。
 等外さんの木犀の句はいかがでしょうか?
 
 ドイツのお菓子の紅茶店としてはまったく関係のないような話題ですが、花のような身近な季語の句を知っていると、ふっと思い出したときにとても楽しくなるものです。ぜひ多くの方に、と、楽しい句のお裾分けのつもりです。
 臼の中に猫というのはなかなか出会うチャンスがありませんが、木犀の香りにぶつかったら思い出してみてください。きっと、頬が緩んでしまうと思います。

葡萄

 秋雨前線の影響か、きょうも曇りのち雨。肌寒い一日でした。
 
 もう9月も10日を過ぎてしまったのでないと思いますが、今年は西瓜を食べる機会がありませんでした。梅雨明けが遅かったことや、一旦梅雨が明けたものの、お盆休みも天気に恵まれなかったせいでしょう。買ったところで、せいぜい1/6か1/8カットのものですが、西瓜を食べない夏なんて、縁側で叱られつつも種をとばして食べていた頃には考えられない事態です。

 いまは梨や葡萄が主役。といっても、梨が食べたくなるような、梨で喉を潤したくなるような天気の日もなかなかありません。心していないと梨も終わってしまいますが、きょうはやっと今年はじめての葡萄をいただきました。

 葡萄というと、必ず、中村草田男の句が浮かびます。

 葡萄食ふ一語一語の如くにて

 草田男の句は、高校か中学の国語の教科書に、「万緑の中や吾子(あこ)の歯生え初むる」がありました。当時は、五七五の真ん中が「や」で切れること、わが子を意味する「吾子」という言葉や草田男という名前そのものに親しめず、確か、教科書の俳句の中で好きなものに挙手というときも、クラスの半分か3分の1くらいの手が挙がったにもかかわらず、私は別の句を選びました。といっても、ほかの句や自分が手を挙げた句さえ覚えていないのですから、この句の印象は特別でした。

 さて、掲句では、1粒ずつ葡萄を口にしていく様を「一語一語の如くにて」と比喩をしていますが、この句を読むとすぐ、一言一句、作者草田男が大事に大事に味わうように物を読んでいる姿も浮かんでしまうのです。ふだん物を読むときに一語一語噛みしめるように読んでいないと、一語一語を味わうように葡萄を口にする、などという表現は出てこないでしょう。
 私も物を読まないと生きていけないような人間ですが、食べるのは遅いくせに、本は早食いの性質。定休日はまとめ食いでもするかのように、物を読んでいます。ときどき、もっとゆっくり味わいつつ読みたいとも思うのですが…。
 ところで、草田男の葡萄ですが、私の独断では、巨峰だと思います。句では葡萄の種類は明言されていませんが、一語一語味わうように食べる葡萄といったら、美味さ、大きさ、珍しさから、草田男の時代には巨峰かマスカットが考えられますが、巨峰のほうがマスカットより上のような気がします。それに、マスカットの軽快な黄緑色よりも、巨峰の黒紫のほうが、ニーチェなどを好んだ草田男には似合うように思います。

 きょうの私の葡萄は、種なし巨峰。葡萄の種類もずいぶんふえて、キャンベルやベリーAも好きですが、特に好きなのは「スチューベン」。数年前秋田の乳頭温泉で口にして以来、必ず冬になるとスチューベンを探すのです。木で完熟させた上、専用の冷蔵施設で貯蔵してから出荷されるので、出回るのがほかの葡萄よりも遅いのですが、酸味が少なく、糖度が高いのです。ちょうど柿が出回るころと同じくらいだと思います。

 ちなみにドイツでは、みんながみんなそうかわかりませんが、葡萄は皮ごと食べます。私がドイツの小学校で授業のため滞在したとき、着いたばかりで行ったスーパーの前で、中年の女性が買ったばかりの葡萄を食べていました。それにも驚きましたが、さらに葡萄を皮ごと食べているのにも驚きました。また、ワインクリームトルテという、スポンジ生地の上に白ワインや生クリームなどをゼラチンで固めたものをのせたトルテがありますが、そのなかにも皮付きの葡萄が入っていますし、上にも皮付きのまま飾られています。習慣の違いでしょうか?葡萄を皮ごとというのは、ドイツが初めてでした。

 今年は夏が短く(仙台自体夏がよそより短い土地柄ですが)、夏を楽しむ余裕もありませんでしたが、食の秋も読書の秋もしっかり楽しみたいと思います。葡萄も本も、草田男にならって「一語一語の如くにて」です。

レシピを読む

芒の穂が目立つようになったと思ったら、北側の道路の中央分離帯に植えられているハナミズキの葉が赤くなってきました。お天気がよければ、写真のひとつも・・・というところですが、あいにく曇りのち雨。
確か去年もいまぐらいに紅葉が始まり、9月早々早すぎる、と思っていましたが、まだ朝晩の寒暖の差もあまりない時期の紅葉、案の定、あまり鮮やかでもありません。
 
 何と言っても、紅葉の美しいのはナナカマドです。ほんとうに鮮やかな紅に染まるのです。東京あたりでは、山に行かないと見られない木ですが、札幌ではナナカマドは街路樹としてよく見かけるものです。花は確か6月ごろ地味な小花をつけますが、鑑賞向きではありません。それが、8月になると実がだんだん赤くなって、10月には葉も真っ赤に。葉が落ちてしまった後の実は、冬のあいだ小鳥の大事な餌になりますが、私にとってもその赤い実は楽しみ。目をやると寒さも少しはまぎれるような気がしたものです。
 
 こんなお天気の日は例によってどこにも出かけず、文庫本1冊とドイツのお菓子のレシピ本と過ごしました。
 そろそろりんごの季節ということもあって、全編りんごのお菓子のレシピ本から、新しく挑戦するものを拾い出し。とにかくドイツにはりんごのお菓子が豊富なのです!
  「モミの木」では、定番の3種を順に作り、タルト生地を作る気があるときだけ(お菓子作り以外の作業をしながらだとちょっと時間と心の余裕がほしいのです)アルザス風のタルトを作っていますが、ドイツではどこの家庭でも作るようなものが、みなさんに「こういうのは初めてだけど、おいしいわ~」と言っていただけています。それにはこちらが驚いてしまいますが、りんごというと日本のお菓子屋さんでは、アメリカ風のアップルパイが主流で、タルト・タタンはパティスリーと謳うお店に行かないと拝めないからでしょうか。
 りんごのお菓子がいちばん好きな私とっては、最もドイツらしい、最も家庭の味と言えるお菓子です。
 レシピの量も、庭のりんごを惜し気もなく使うお国柄なので、りんご1.5kgから2kgとあって桁が1つ違います。もっとも、みなさんの胃もサイズが違いますし、青森のりんごを取り寄せている「モミの木」でもそういうわけにもいきませんが・・・。
 早生の「つがる」がおいしくなったら、早速試してみるつもりです。おいしくて、簡単なものは定番にしたいと思っています。

 ところで、先週の日曜の朝日新聞に『柘榴のスープ』の書評を酒井啓子さんが書かれていました。
 『柘榴のスープ』については、以前『ニゲラ』の稿で触れたとおり、イラン革命のさなか亡命した3姉妹がアイルランドの田舎にペルシア料理のカフェを開き、街に根を下ろしていく物語。各章のエピソードにかかわるペルシア料理のレシピもあって、料理やお菓子を想像するのも楽しかったのですが、残念なことに、味の決め手となる香辛料が未知のものばかり。中東問題の専門家の酒井さんは、「料理の芳しい匂いが全編にただよい、たまらない」とのことでした。
 
 ニゲラの種の風味も柘榴のスープの味も知らない私は物語の半分しか楽しめなかったことになりますが、まあ、ペルシア料理の恨みをドイツのお菓子で晴らしたような一日でした。

コリウスとヘンリーヅタ

コリウス.JPG
 
 きょうはよく晴れて、月もきれいな夜です。夕食を食べていると、東側のブラインドの隙間にちらりとお月さま。いまはもう真南に来ましたが、月齢12日ごろ。雨のところもあるようですが、降っていなければ外をご覧になってみてください。
 
 このところ、物を読むのに餓えていたので、定休日は一日中読書でしたが、きょうは久しぶりに外出。  先週西側の公園のカツラやトチの木が葉の色が変わり始めていると書きましたが、やはり市内の別の場所でもカツラが黄色くなり始めていました。カツラと言っても、東京あたりではあまり公園などでも見かけませんが、札幌にいたときは道庁(赤レンガ)などの公園に植えられているものや円山(まるやま)などに自生しているのを見かけました。夏も終わりの円山を歩いていると、カラメルのような香ばしい香にぶつかったことがありましたが、黄葉が近づいたカツラの葉の匂いでした。ハート型を平たくしたようなまるい葉です。葉の形ですぐわかります。

 ところで、今年はとうとう百日紅(サルスベリ)が咲きませんでした。もう西側の木槿(ムクゲ)の花も終わってしまったので、いくら待っても今年は無理のようです。去年もらって植えたときには、幼木ながらしっかり咲いてくれたのですが…。
 よくブナの場合には、実が豊作の裏年は凶作と言います。今年がまさに凶作で、ブナの実が凶作の年にはクマが出る、と言う言葉通りに、クマが出没しているらしいのですが(実は家の近くにも出たと区の広報車が注意を呼びかけていたことがありました!)、ブナ以外の木も花つきがよかった年の翌年はあまり咲かないものなのでしようか?
百日紅が咲かないので、ご近所を気をつけて見ていたのですが、夏椿も、去年どこの家でもよく咲いていてびっくりしたのが嘘のように、全く花をつけていませんでした。満開の翌年は花を休む。そういうものかどうか、気をつけていようと思います。

 写真は、コリウスとヘンリーヅタ、ハイビャクシンの寄せ植え。コリウスの葉に似たヘンリーヅタは、秋には真っ赤に紅葉するようです。紅葉したらまたご覧に入れます。乞うご期待!
 

向田さんのトマトの青じそサラダ

 きょうで8月も終わり。明日からまた学校ですね。

 葛飾区の学校では25日が始業式ということでしたが、この辺の学校も28日から始まっているようです。もっとも、10月に数日間の秋休みがあるそうですが、それならいっそ31日まで休みにしてくれたら…、と思ってしまいます。何しろ、宿題は27日からが勝負の子どもでしたので…。(26日が誕生日なのでそれまではやりたくなかったのです。でも、25日までにすませて26日はゆったりするというのはいま気がつきました!)

 そんなわけで、絵日記もまとめ書き。いまだ、この更新日もカレンダーを見るとすかすかですが、これでも子ども時代に比べればいいほうです。おまけに、このブログの操作が私にとっては少し特殊で、ある操作をすると、ワードやメールでは問題ないのですが、それまで書いた全文がパッと消えてしまうのです!!! すでに5~6回、それも最後のあたりで消えてしまったことがあったのですが、実はきょうも全滅してしまったところです。ですから、書いている本数は実際よりも多い!のです。

 まるで夏休みの宿題が片付かない言いわけをしている気分ですが、先日「向田さんのこと」でふれた「ままや」の「トマトの青じそサラダ」のお問い合わせがありました。仕舞いっぱなしになっていましたが、『向田邦子の手料理』(講談社)という本がありますので、ご紹介いたします。

 *トマトの青じそサラダ (4人分)
  トマト4個、青じそ12枚
  ドレッシング(ごま油大さじ3と1/2, 酢大さじ2と1/2、しょうゆ大さじ1、塩・うま味調味料各少々)
 ①トマトはヘタをくり抜き、すわりがよいように底を平らに落とし、放射状に6等分する。
 ②ドレッシングの材料をあわせ、青じそはせん切り。
 ③器にトマトを盛り、ドレッシングをかけ、青じそを散らす。

 このトマトのサラダは、向田さんと妹さんの「ままや」では黒い土物のお皿にサラダ菜を敷き、その上に盛られていました。友だちの一人は、桃太郎というトマトの品種や見た目も桃のような感じがあったせいか、「桃太郎サラダ」と呼んでいました。
 
 実は、向田さんのレシピを確認して初めて、ドレッシングのレシピがわが家とはちがうことに気がつきました。それもそのはずで、向田さんのレシピの本はずっと買いそびれていて、私のものは2001年版。向田さんのレシピを知らなかったので、わが家の和風ドレッシングはずっと、ごま油と酢、しょうゆが1:1:1。これは、たしかテレビで見た村上祥子先生のレシピです。買ったのが2001年だったとしても、すでに10年間1:1:1のレシピで満足していたので、あらたに確認もしていなかったのでしょう。
 
 こんど向田さんのレシピも試してみますが、1:1:1のレシピは、飽きがなく、おすすめです。変化をつけたければ、しょうがやすりごまを足したり、しょうゆをそばつゆに変えるなど、応用が効くのです。何より、忘れようと思っても忘れられない簡単なこと!これなら夫にも作れるので、頼むとしみじみ「黄金率だね~」と言って、材料をジャムの空き瓶に入れ、しゃかしゃかやってくれます。(もちろん、いろいろなサラダに使えます。)
 
 蛇足ですが、トマトは家では輪切りです。櫛形よりも輪切りのほうがドレッシングがかかる断面が多いせいでしょうか。また、青じそがなければ、水にさらしたたまねぎやパセリ、バジルとそのときそのときで作っています。  
 
 暑いときには特におすすめです。私も必ず「ままや」に行くと頼んでいました!
 
 なお、「ままや」はもう閉められたそうです。テレビで知ったときには、絶句してしまいました。

向田さんのこと

 ちょうど私の部屋から見える、向かいの公園の木槿(ムクゲ)は、まだ美しい時期ですが、ススキ(?)の穂が出始め、カツラやトチの木はもう、少し黄色くなり始めました!

 ところで、今年は遠藤周作の没後10年、向田さん(邦子)の没後25年だそうです。
 
 大学時代の夏休みは、もっぱら実家で読書でしたが、遠藤周作の文庫本を一気に読んだのも大学2年のころだったと思います。
 考えてみれば、「モミの木」を始めるきっかけが、このとき読んだ『留学』という中篇といえるかもしれません。
 実は、この登場人物の1人の、ランスの大聖堂の天使の彫刻には「中世の神的なものとルネッサンスの人間的なものが、結合した夕映えの光」を連想する、という台詞に惹かれて、3年になる前の春休みにヨーロッパに見に行ったのです。
 ところが、その天使の彫刻は、残念ながらランスの大聖堂の本物ではなく、パリの美術館のレプリカを見たせいか、私には感慨が湧かず、そのあと知ったドイツの彫刻家リーメンシュナイダーに心を奪われてしまいました。
彼のことが知りたいがために、ドイツ語ができるようになりたい→ドイツの小学校の授業→→→「モミの木」とつながりったのですが、もし、あの夏遠藤周作を読んでいなかったら…? あるいは、ランスの天使に惹かれていればドイツの家庭のお菓子ではなく、フランスの家庭のそれを作っていたかもしれません。

 こんな影響を受けた遠藤周作が没後10年というのは、迂闊なことに気がついていませんでした(たぶん、この年の8月末の同じ日に、夫の札幌転勤と、夫の大学時代の恩師であり私たちの仲人の先生が亡くなったのを聞いて、その訃報が飛んでしまったからにちがいありません)。

 一方、向田さん(親しみをこめてこう呼ばせてもらいます)の訃報は、それまで向田さんの名前も、なぜかドラマも著書もまったく知らなかったにもかかわらず、高校2年の夏からずっと心に残りました。
 きっと、訃報を聞いたのが祖母の家に泊まった朝だったこと。それも、行政書士の叔父が一仕事終えて帰ってくるなり、「向田邦子が死んだぞ。台湾で飛行機事故だってさ」と出迎えた叔母によく知っている人のような口調で言ったせいや飛行機事故という原因もあってか、その朝の蝉時雨も忘れられず、ムコウダクニコってどんなひと?と、ずっと気になっていたのです。
 その訃報で名前を知った向田さんの本を手にしたのは、やはり大学の2年のときだったと思います。
 『父の詫び状』に始まって、エッセイを次々読んでいきました。エッセイの主な舞台は、戦前から戦後にかけての向田さんの家庭ですが、時代は違っても、明治生まれの父方の祖父母と同居していたせいか、時代背景が異なって読みにくいということもなく、むしろ読み出したら止まらなくなってしまいました。授業中もこっそり読んでいましたが、思わずふきだしそうになって困ったものでした(そのあと私のお古を歯医者で読んだ母も、ふきださないよう苦労したそうです)。
 そして、すっかり向田さんのファンになった私は、学生の分際で友人や後輩とよく赤坂の「ままや」に行き、そのお惣菜もすっかり気に入って、いまでも「ままや」で覚えた「トマトの青じそサラダ」や「さつまいものレモン煮」、「人参のピリカラ煮」はよく作るというか、完全にわが家の味になっています。
 いつも8月もお盆が過ぎると、あぁ、もうすぐ向田さんの亡くなった日と意識していましたが、今年はもう没後25年と知り、最近は向田さんの本を読み返していました。
 ところで、向田さんのエッセイにはよくごはんの話が出てきます。私はごはんよりもパンという人間ですが、向田さんを読んでいるとついついおいしいおにぎりが食べたくなってしまいます。そこで、ふっと口をついて出来た句がありますが、俳句では向田さんの忌日8月22日が季語になっていないのが問題かもしれません。

 邦子忌や塩をきつめの握飯(にぎりめし)  里見 弓
 
 
 

梅雨が明けました!

 あぁ、やっと梅雨が昨日明けました!

 今日は、外に出ずお菓子を作っていても、梅雨明けを実感できるお天気でした。
 私自身は、冷房よりも涼しい風が入ってきてくれればよく、事実この家を建つまでクーラーなしで過ごしてきましたが、お菓子の焼き上がりがどうしても室温に左右されるので、やむなくクーラーを入れています。それでも、夕方作ったバナナチョコチップマフィンはいつもより焼き上がりが早かったほどです。

 そうそう、梅雨が明けて、朝の水やりがかかせなくなりました。うっかり忘れると、特に葉物のコリウスはいっぺんにくたっとしてしまいます。実は、今朝も、昨日の夕方やったからいいか、と思っていたら…。

 そんな暑さだったのが、夜の買い物の帰りには、スイッチョンか何か虫の声がしました。虫の名前には自信がないのですが、ギーッギーッと鳴く、弦楽器系の虫です。梅雨が明けたばかりなのに、あぁ、もうすぐ旧暦では立秋!半月のお月さまも久しぶりで、前に見たのはいつだったか…と考えてしまうほどです。家の近くでは蛙の声も。外は、まさに俳句の季語でいう「夜涼(やりょう)」でした。
 

暑中お見舞い!?

 7月30日関東・北陸地方まで梅雨明けとのこと、おめでとうございます。

 慣用的に、梅雨明けでおめでとうはないと思いますが、終盤の大雨のせいで長いトンネルを抜け出たような思いの方もいると思います。被害に遭われた方には、ご苦労が多いと思います。心よりお見舞い申し上げます。

 こちら仙台はまだ梅雨が明けません。きょうも半袖では寒いほど。夜もふとんが必要です。ほんとうは、お菓子を作るにはこれくらいのほうが、体もラクなうえお菓子の焼き上がりもいいのですが、梅雨明けが待ち遠しい!

 夏生まれのせいか、休みがあったせいか、私は夏がいちばん。そして、夏は夏らしく、セミがみんみん・しゃんしゃん鳴いて、太陽がかぁーっと照りつけてくれないと調子がでないのです。草木ばかりでなくにんげんにも光が大事、とつくづく思います。

 ところで、先日の朝日新聞によると、葛飾区では今年から小学校の夏休みが1週間減って、8月25日には2学期が始まるようです。葛飾区の中学ではすでに去年から夏休みが短縮されているとか。結婚後数年柴又に住んでいたので、あの辺の子どもたちが少しかわいそうな気もします。
 
 でも、8月は、一日のうちでも天気がダイナミックに変わり、一月のなかにも夏の盛りから終わりへと変化がはっきり。
 朝はラジオ体操が終わるころから気温がぐんぐん上がって、昼ごろには入道雲がぐんぐん立派になっていく。それでもまたプールに行くと、やっぱり暗くなる。大急ぎで引き上げても、やっぱり間に合わない。子どもは少しぐらい濡れてもへっちゃら。家に帰って一息ついて、セミがまた鳴きだしたら、外に飛びだして行く…。
 そしてお盆が近づけば、雲は入道雲ばかりでなく鰯雲も広がるようになり、8月も最後の週になると、もうりっぱな雲の峰はおがめない。セミも、気がつけば、クマゼミからツクツクボウシになっている。
 夏休みが短くなったら、そんな季節の移ろいを肌で感じることができなくなってしまいそうです。

 とまれ、こちらでは早い梅雨明けを願うのみ。このままでは、いつまでたっても8月という実感がわかず、体内時計ならぬ体内カレンダーが壊れそうです。

 梅雨が明けても明けなくても、みなさま、くれぐれもご自愛くださいませ。