秋雨前線の影響か、きょうも曇りのち雨。肌寒い一日でした。
もう9月も10日を過ぎてしまったのでないと思いますが、今年は西瓜を食べる機会がありませんでした。梅雨明けが遅かったことや、一旦梅雨が明けたものの、お盆休みも天気に恵まれなかったせいでしょう。買ったところで、せいぜい1/6か1/8カットのものですが、西瓜を食べない夏なんて、縁側で叱られつつも種をとばして食べていた頃には考えられない事態です。
いまは梨や葡萄が主役。といっても、梨が食べたくなるような、梨で喉を潤したくなるような天気の日もなかなかありません。心していないと梨も終わってしまいますが、きょうはやっと今年はじめての葡萄をいただきました。
葡萄というと、必ず、中村草田男の句が浮かびます。
葡萄食ふ一語一語の如くにて
草田男の句は、高校か中学の国語の教科書に、「万緑の中や吾子(あこ)の歯生え初むる」がありました。当時は、五七五の真ん中が「や」で切れること、わが子を意味する「吾子」という言葉や草田男という名前そのものに親しめず、確か、教科書の俳句の中で好きなものに挙手というときも、クラスの半分か3分の1くらいの手が挙がったにもかかわらず、私は別の句を選びました。といっても、ほかの句や自分が手を挙げた句さえ覚えていないのですから、この句の印象は特別でした。
さて、掲句では、1粒ずつ葡萄を口にしていく様を「一語一語の如くにて」と比喩をしていますが、この句を読むとすぐ、一言一句、作者草田男が大事に大事に味わうように物を読んでいる姿も浮かんでしまうのです。ふだん物を読むときに一語一語噛みしめるように読んでいないと、一語一語を味わうように葡萄を口にする、などという表現は出てこないでしょう。
私も物を読まないと生きていけないような人間ですが、食べるのは遅いくせに、本は早食いの性質。定休日はまとめ食いでもするかのように、物を読んでいます。ときどき、もっとゆっくり味わいつつ読みたいとも思うのですが…。
ところで、草田男の葡萄ですが、私の独断では、巨峰だと思います。句では葡萄の種類は明言されていませんが、一語一語味わうように食べる葡萄といったら、美味さ、大きさ、珍しさから、草田男の時代には巨峰かマスカットが考えられますが、巨峰のほうがマスカットより上のような気がします。それに、マスカットの軽快な黄緑色よりも、巨峰の黒紫のほうが、ニーチェなどを好んだ草田男には似合うように思います。
きょうの私の葡萄は、種なし巨峰。葡萄の種類もずいぶんふえて、キャンベルやベリーAも好きですが、特に好きなのは「スチューベン」。数年前秋田の乳頭温泉で口にして以来、必ず冬になるとスチューベンを探すのです。木で完熟させた上、専用の冷蔵施設で貯蔵してから出荷されるので、出回るのがほかの葡萄よりも遅いのですが、酸味が少なく、糖度が高いのです。ちょうど柿が出回るころと同じくらいだと思います。
ちなみにドイツでは、みんながみんなそうかわかりませんが、葡萄は皮ごと食べます。私がドイツの小学校で授業のため滞在したとき、着いたばかりで行ったスーパーの前で、中年の女性が買ったばかりの葡萄を食べていました。それにも驚きましたが、さらに葡萄を皮ごと食べているのにも驚きました。また、ワインクリームトルテという、スポンジ生地の上に白ワインや生クリームなどをゼラチンで固めたものをのせたトルテがありますが、そのなかにも皮付きの葡萄が入っていますし、上にも皮付きのまま飾られています。習慣の違いでしょうか?葡萄を皮ごとというのは、ドイツが初めてでした。
今年は夏が短く(仙台自体夏がよそより短い土地柄ですが)、夏を楽しむ余裕もありませんでしたが、食の秋も読書の秋もしっかり楽しみたいと思います。葡萄も本も、草田男にならって「一語一語の如くにて」です。